障がい者の自立的な働き方について考えることは、多様な社会を実現する上で欠かせません。
このシリーズでは、自律的に働く障害者たちにスポットを当てた書籍「障がい者だからって、稼ぎがないと思うなよ。」についてグッと要約してお話します。
前々回と前回は、障害者たちが取り組むアート活動「アール・ブリュット」の中心的存在であるボーダレス・アートミュージアムのNO-MAを中心にお話しました。
障がい者がアートに取り組める環境を提供する能登川作業所の取り組みにも触れました。
今回は、両親に「地獄」と言わしめた古久保憲満さんが、アートで「自慢の息子」と言わしめるまでの経緯についてお話します。
アート活動をする障がい者にとってアートとはなんなのか?
小久保憲満さんの事例から学びましょう。
はじめに
きちほーしの子どもキチノには知的障害があります。
だから障害者がどんな風に世の中に受け入れられる仕事をするのか、とても興味があります。
参考にしようときちほーしが見つけたのが、障害者による「稼いで自立」の成功例を紹介する書籍「障がい者だからって、稼ぎがないと思うなよ。 」です。
この本では、障害者たちが「稼いで自立」にいたるまでをまとめたドキュメンタリーな内容になっています。
雑誌の記事のように取材したことを淡々と書くのではなく、文章に味付けをして障害者たちがとてもカッコよく描かれています。
登場する障害者たちはどうやって成功したのでしょうか?
それぞれがどんな活躍をしているのでしょうか?
今回はアートに取り組む障害者である、古久保憲満さんについてお話します。
本記事の範囲
この記事では「CASE3 福祉×芸術=アール・ブリュット ──試みの先にあるもの──」の一部を要約してお話します。
古久保憲満さん
古久保憲満さんは、長さ10mの紙にタワーやビル、マンション、車、飛行機などを超極細のペンでびっしり描きだして架空の都市を描く作家さんです。
代表作は未来の上海ディズニーランド。
奇声と癇癪 小中は地獄のようだった
古久保さんは高機能自閉症・広汎性発達障害で、小学校では教室でじっと座っていられず奇声をあげたり癇癪を起こしていました。
反抗期にはテレビを砕かれたりご両親と取っ組み合いの喧嘩をするような感じで、ご両親は当時を「地獄」と表現しています。
気を落ち着かせるためのお絵かきセット
ただ小さい頃から絵を描いているときは落ち着きを保つことができたので、お絵かきセットを持たせて通学させるようにしました。
そのうち支援級では自分が描いた絵を友達にプレゼントするようになります。
絵を通じてコミュニケーションをとるようになってきたのです。
そして賞を取るようになった
養護学校の高1の時に担任の馬場先生の助言をきっかけに大きな絵を描くようになり、最終的には10mロール紙に描くようになりました。
そうして高1の夏休みにできたのが「未来の上海ディズニーランド」。
この作品はかんでんコラボ・アート21をはじめ3つの賞で最優秀賞などを受賞しました。
絵は本業じゃない
障害者が絵で生計を立てるという道はあるのでしょうか?
古久保さんの絵はシンガポールで展示した際に「買いたい」という申し出もあったほどだそうです。
クリアファイルなどのグッズとしては販売しているようで、絵による収入もあるようです。
ただ小久保さんの本業は絵ではなく別にあるようです。
書籍には本業について明記されていませんが、絵は飽くまでも「趣味」という位置づけのようです。
「地獄」から「普通」そして「自慢の息子」へ
先にも書いたように小久保さんが小中のころ、ご両親にとっては「地獄」のような日々でした。
それが賞をもらうようになって、ご両親もようやく「周りと比べて普通に子育てできている」と実感できるようになったとのことです。
そしてついには展示会に来た安倍首相とのツーショット写真や息子の展示会のパンフレットなど、自慢の種ができるようになりました。
人前に出て大きく成長
自慢の種ができたということ以上に、人前に出る機会が増えたことがご両親にとってはいいことだったようです。
恥ずかしがり屋の憲満さんですが表彰式に出席したり喜びの声を伝えることで、人前に出る機会が増えました。
そうしてうつむいた顔がいつしか前を向くようになり、人としても大きく成長したとご両親は言います。
子どもの個性・特性に気づける環境を
憲満さんの父の満さんは言います。
大きな絵を描くようになって7年。憲満さんはビックリするくらい成長したと。
障害に関係なく誰もが持っている個性・特性に親御さんが気づき、子どもたちが描ける環境を作りたいと。
支援した先生は評価されない
さらに憲満さんの父の満さんは続けます。
憲満さんをサポートしてくれた養護学校の先生方が評価されていない。
養護学校の馬場功先生が大きな紙に絵を描くことを勧めてくれて、徳田佳弘先生が展覧会を全部調べてくれて、憲満さんの将来を考えてくれた。
馬場先生は憲満さんの作品をヨーロッパに連れていきたいとまで言ってくれた。
そんな先生方が評価されてるような世の中になってほしいと思っているようです。
就労も芸術も社会へつながる道
ボーダレス・アートミュージアムNO-MAの斎藤誠一さんに言わせると、障害者にとっても就労も芸術も社会へつながる道の一つとのことです。
入口は就労でも芸術作品でも、社会が障害者と出会うチャンネルが増えればいい。
今は難しくても、いつしか違和感なく健常者も障害者もお隣にいるような世界を夢見ているとのことです。
きちほーし感想
芸術一つで生計を立てられるほど甘くはない
知的障害あるわが子キチノはしゃべることができません。計算することもできません。
つまり論理的なことが苦手。
そして絵を描くことやダンスや音楽が好き。
つまり感覚的なことが好き。
だから芸術方面に進む道もあるのかなと漠然と思っていましたが、賞を取った古久保さんですら生業にしていないので、現実的ではなようです。
よく考えれば健常者でさえ絵やイラストや漫画だけで食べていける人は一握りだと聞きますので、芸術界そのものがそんなに甘くないのでしょう。
NO-MAの斎藤さんが言うように、芸術を社会につながる道の一つにして、収入があればいいなという程度に捉えていたほうがよさそうです。
表彰されなくても人前に出ることが重要?
古久保さんは表彰式をきっかけに人前に出るようになって大きく成長したとのことです。
なら表彰されなくても人前に出ることで大きく成長できそうです。
そういう意味では運動会や発表会などのイベントに参加したり、小さいのではカラオケで歌ってみたりするのもいいかもしれませんね。
本人の熱意だけでなく支援する側の熱意も重要
芸術家として社会とつながりを持つには、澤田真一さんや古久保憲満さんのように作品に没頭する熱意はもちろん重要でしょう。
ですが忘れてならないのは、澤田さんや古久保さんの作品を推したNO-MAの人たちや支援校の先生方、そして芸術の環境を提供する能登川作業所のような支援の存在です。
芸術家本人の熱意と支援する側の熱意、この2つがあって障害ある芸術家が社会とつながりが持てるんでしょうね。
まとめ
これまで3回に渡って、障害者たちが取り組むアート活動「アール・ブリュット」についてお話しました。
1回目は以下のことをお話しました。
- スイスのアール・ブリュット・コレクション館長も唸らせた澤田真一さんについて
- ボーダレスアート・ミュージアムNO-MA創設者 北岡賢剛さんの経歴
- 北岡賢剛さんの心の支えとなった障害者福祉の父・糸賀一雄について
2回目は以下のことをお話しました。
そして3回目の今回は以下のことをお話しました。
- 両親に「地獄」と言わしめた古久保憲満さんがアートに取り組むことで、「普通」そして「自慢の息子」へ至る経緯について
1回目と2回目は障害者アートを支える人たちを中心にお話しました。
3回目は障害者アートに取り組む人を中心にお話しました。
そして最後に蛇足ながらきちほーしの感想を添えました。
障害者に限らずでしょうが、芸術を生業にするのはとても厳しいことだと思われます。
そしてたとえ優れた作品を生み出せるとしても、それを支援する人たちがいないと世の中に展開できないのだと思われます。
「ウチの子芸術の才能があるかも?」と思った親御さんは今回のことを参考にしてもらえればと思います。
ではまた!
書籍概要
タイトル
障がい者だからって、稼ぎがないと思うなよ。 ソーシャルファームという希望
発売日
2020/03/17
著者
姫路まさのり
概要
障がい者は低賃金が当たり前って、おかしくない?
予約の取れないフレンチレストラン、年商2億円、奇跡のクッキー工場、IT、ワイン醸造にアートetc
「稼いで自立」の成功例を紹介する、とっても大事な「お金」の話。
目次
- CASE1 10万円で働き方が変わる ──予約の取れないフレンチレストラン──
- CASE2 生きがいの分配 ──年商2億円に届いた奇跡のクッキー──
- CASE3 福祉×芸術=アール・ブリュット ──試みの先にあるもの──
- CASE4 ワインとIT ──本当の自立とは何か──
おまけ
(今週のお題「おとなになったら」)
ここではきちほーしのことをよく知ってもらうため、はてなブログの「今週のお題」をヒントに、本題と少し外れたお話をします。
今週のお題は「おとなになったら」です。
もうかなり大人なんですけどね^^;。
きちほーしは夢追い人でした。
夢を追うだけの人^^;。
頑張ればいつか夢が叶うだろうと思っていましたが、今思うと夢へのアプローチが間違っていたと思います。
夢を叶えるための準備を続けていれば夢が叶うと思っていて、何も実践していなかったんですね。
今は実践して失敗から学ばないと夢は叶わないと思うようになりましたが、もう子供もいて大胆なチャレンジはしにくくなってきました。
今はちぃ~さなリスクでできることだけを実践しています^^;。