この記事はきちほーしの妄想です。
知的障害者やその親・支援者たちがのびのびと生活できる、そんな村があったらな~という妄想です。
妄想ではありますが、実際に村づくりをされている人もいるので、まったくの夢物語ではないと思うのです。
妄想が現実になったらな~。そんな願いをこめてお話します。
アイスブレイク
(今週のお題「わたしは○○ナー」)
アイスブレイクではきちほーしのことをよく知ってもらうため、はてなブログの「今週のお題」をヒントに、本題と少し外れたお話をします。
今週のお題は、「わたしは○○ナー」です。
うーん、何ナーなんでしょうねぇ?
「ブロガー」といえばカンタンなんでしょうけどね。
それを避ければ「妄想ナー」なんですかねぇ?
僅かな知識と勝手な想像だけで「あんなこといいな、できたらいいな♪」と妄想しちゃう人です。
妄想だけで終わっちゃってるんですけどね!
というわけで今回の日記もそんな妄想話です。
はじめに
どうも!きちほーしです!
きちほーしの子どもキチノには知的障害があります。
日本ではそんな知的障害者に手厚い支援をしてくれるので、経済的にはあまり心配していません。
ただ、それでもちょっと不満があるのです。
知的障害者は肩身が狭い
それは知的障害者は肩身が狭いということです。
なんだか周囲の人達から距離をとられている気がするし、障害者施設も地域の隅っこにある気がします。
それはおそらくきちほーしの気のせいではないでしょう。
実際奇声をあげる知的障害者に通りすがりのおじさんが「うるさい!」とどなりこんで、その子の親と喧嘩になったこともあるようです。
きちほーしの子のキチノも小学生の子に「うわ!何あれ!?気持ち悪い」と言われて、きちほーし自身とても傷ついたことがあります。
そして知的障害者が疎外されているのは、日本だけの話じゃないようです。
カナダのマシュー・ウィリアムズは(おそらく軽度)の知的障害があり、やはり肩身の狭い思いをしてきたようです。
(日本語字幕もあります。ぜひ見てみてください!とても感動します!)
肩身が狭いのは障害者本人だけではありません、障害者の親もそうです。
周囲に迷惑かけないか気疲れするので、健常者が集まるようなバスや映画館やデパートにはなかなか行こうとしません。
子どもには色んな経験をさせたいから、色んなところに連れてっていきたいのに!
移動手段は自動車になりがちだし、行き先もなるべく人気の少ないところや障害者が多そうな施設に限られてしまいます。
障害者支援施設は居心地がいい
町中は肩身が狭いのですが、その一方で障害者支援施設は居心地がいいです。
なぜなら周りは障害者に理解してくれる人たちばかりなので、のびのびと過ごすことができるからです。
きちほーしはキチノを連れてよく障害者支援施設に行きます。
とは言えのびのびできる空間はその施設だけに限定されてしまいます。
おのずと世界が狭くなってしまいます。
肩身が狭いのは健常者の町だから?
きちほーしは思うのです。
知的障害者がこんなに肩身が狭いのは、大多数の健常者が住む町では少数派の知的障害者側が遠慮してしまうからなんじゃないか?
知的障害者が多数派の村を作ってやれば知的障害者はのびのびと生きれるんじゃないか!?
それがきちほーしが「知的障害者の村を作れたらいいなぁ~」と妄想した理由です。
飽くまでも妄想です。
妄想ではありますがまったくの夢物語ではないと思うのです。
妄想が現実になったらな~。そんな願いをこめて妄想の内容をお話します。
妄想: 障害者支援村!
障害者のキチノも親のきちほーしも居心地がいい障害者支援施設。
これがもっともっともーーーっと大きくなった、障害者とその家族や支援者が住めるくらいの空間。
そして障害者と支援者の間にはお客様と労働者のような上下関係はなく、みんなで村のあるべき姿を目指していく。
それがきちほーしが思い描く知的障害者の支援村です。
障害者といってもいろいろでしょうから、重度やタイプに応じて村の区画を分けてもいいかもしれません。
学校や病院などの公共施設もありますし、就労支援施設のような事業所もあります。
もちろんスタッフは障害者に理解のある人たちばかりです。
村の周囲には就労支援施設用の農地を設けます。
これは就労の場であると同時に、健常者の街と距離を取るようにするためのものです。
メリット
障害者と親は肩身の狭い思いをしない
そこでは奇声をあげようが奇行に走ろうが肩身の狭い思いをしなくてすみます。
隣近所は全て障害者自身か障害者に理解のある人達ですから。
健常者の町では障害者やその支援者は健常者に迷惑をかけないことにエネルギーを費やします。
ですが、障害者支援の村ではそんなエネルギーを自分らしく生きる方に費やすことができそうです。
支援者の負担も軽くなる
健常者への迷惑を考えなくて良いという点では支援者にとっても心的負担が軽いはずです。
それにその村ではあちこちに支援者がいるので、一人の支援者が病気になっても代行はいくらでもいます。
代行がすぐに捕まるという点でも心的負担は軽いでしょう。
支援の効率が良くなる
障害者支援の村では障害者の人口密度が高いです。
そのため学校や就労所も支援の効率が向上すると思われます。
また例えば見守りシステムを村中に設置するといった、障害者向け設備の費用対効果も健常者の町より向上するでしょう。
デメリット
人が集まりにくそう
メリットをいろいろ挙げましたが、デメリットもあると思います。
それはどうしても村が片田舎になってしまうという点です。
健常者に配慮しなくてもいいくらい健常者から離れた地域となると、都市ではなく片田舎になるでしょう。
そうなると障害者はもちろん、親や支援者も片田舎に住むことになります。
都市に通勤しなければならない親はその村には住めません。
持ち家の人も自分の家を売るという決断をしなければなりません。
支援を生業にする人でも都市に住みたい人は来てくれないでしょう。
若い支援者の多くは都市のほうがいいと思うんじゃないでしょうか。
資金も集まりにくそう
人が集まりにくいということは出資金も集まりにくそうです。
当面は小さな範囲からお金がかからないようにして村を作っていかなければならないでしょう。
ただ、最初はハードルが高いでしょうが、あるていど村が仕上がって評判になれば応援してくれる人や真似したいと思う人が増えると思うのです。
場合によっては都市にも障害者支援エリアのようなものができるかもしれません。
資金はどうするか?
村を作るまでには資金が必要です。
どれくらい必要かまったくわかりません。
住居を作るくらいなら空き家を流用することができるでしょうが、施設となるとそれなりにかかるでしょう。
そこで障害者支援の村を作るためのDAOを立ち上げます。
DAOとはオンライン上で作るリーダーのいない組織です。
そこでは参加者がお金を出し合い、どのように使うかを投票で決めるのです。
各自が果たした役割に応じて報酬もあります。
村の住民になる予定の人たちがDAOによってお金を出し合い、土地の購入や工事に割り当てます。
DAOはまだ世の中に浸透していないので、はじめはDAOを理解できる人たちだけでやっていくことになるでしょう。
DAOを理解できるひと、かつ、知的障害者本人または親や支援者、かつ、田舎に住める人。
なかなか集まりにくいかもしれませんね^^;。
ですが、障害者支援の村が評判になれば、それまでDAOに興味なかった人も自分から理解しようとするでしょう。
評判になるまでが大変ですけどね…。
村作りの労働力はどうするか?
村作りの労働力は、DAOで募った志願者もいるでしょうが、障害者とその支援者もいるでしょう。
はじめは近隣の障害者支援施設から派遣してもらい、住居が確保されるにつれて居住の障害者・支援者にやってもらうことになるでしょう。
障害者のための村を障害者自身で作ることができれば、それもまた素敵なことだと思うのです。
おわりに
きちほーしの妄想に付き合っていただきありがとうございます^^。
妄想だと言ってはいますが、実現できればなーと思っています。
ただ、きちほーしにできることは妄想くらいなのです。
DAOを創設するようなリーダーとしての資質もなければ、コミュニティになじめるほどコミュニティ力があるわけではないのです。
誰か作って欲しいなぁ~。
そんな他力本願な願いを込めて語らせていただきました。
ではまた!
参考: すでに村作りを始めている人々
すでに民間でむらづくりをしているコミュニティがあるようです。
きちほーしがイメージしているものとは少し違いますが、参考になりそうです。

